最近話題のNetflixドラマ「極悪女王」、もう見ましたか?1980年代の日本女子プロレス界を舞台に、悪役レスラーとして一世を風靡したダンプ松本さんの半生を描いた物語です。
ドラマの大筋は事実にもづいたストーリーになっていますが、事実とは異なる箇所もあります。今回は、「極悪女王」の内容と実話を比較して、真実を探っていきましょう!
「極悪女王」で描かれたダンプ松本の人生は事実?
ドラマ「極悪女王」は、多くの人々を魅了する素晴らしい作品ですが、実際のダンプ松本さんの人生とは少し違う部分もあります。では、どんな点が事実で、どんな点がフィクションなのでしょうか?以下に、ドラマと実話との違いをまとめてみました。
- 驚きの家族ドラマ!腹違いの妹との出会いは本当だった?
- 壁崩壊シーンの真相:実は別の事件が元ネタだった!
- 父親の心臓病は嘘?実は長生きだった衝撃の事実!
- プロレスラーへの道:パン屋就職は創作?実際の仕事とは?
- 意外なファン心理:実はマッハ文朱にも夢中だった!
- 松永家の実態:ドラマより複雑な同族経営の真相
- 長与千種の寝床:リング下は創作?実際の合宿所の驚くべき実態
- 血みどろの試合:フォークの使い方に隠された配慮とは?
- クレーン・ユウの引退:ドラマとは異なる衝撃の真相
- ジャガー横田の誕生秘話:本人が否定するドラマの描写
ドラマ「極悪女王」は、ダンプ松本さんの波乱万丈な人生を描いた作品ですが、実話をベースに作られています。
例えば、ドラマでは幼い頃に父親の別宅に乗り込むシーンがありましたが、これは実際にあった出来事なんです。
ドラマでは父親が赤ちゃんに「香」という名前を付けたとされていますが、実際もそうであったようですね。
ただし、より劇的な展開を作り出すために、一部フィクションを交えて描かれています。
そんなフィクション部分について詳しく見ていきましょう!
家族ドラマの真相は?壁崩壊と父親の健康問題
ドラマの中で印象的だった壁崩壊のシーン、実はこれも創作(フィクション)だったんです。
ドラマでは、香(ダンプ松本)が父親を突き飛ばし、壁が崩れてトラックの荷台に落ちるという衝撃的な場面がありました。
しかし、実際にあったのは別の出来事。ダンプ松本さんが幼い頃、酔っ払った父親がお母さんを殴ろうとして、勢いでガラス窓を割ってしまったそうです。
壁ではなくガラスが割れただけ、というのが真相でした。でも、ドラマの方が視覚的にインパクトがありますよね。
また、父親の健康問題についても、ドラマと実際では大きな違いがありました。
ドラマでは、父親が「いつ心筋梗塞を起こしてもおかしくない」と医師に告げられるシーンがありましたが、これも創作だったんです。
実際のダンプ松本さんのお父さんは、「心臓が弱いので40歳くらいで死ぬ」と言っていたそうですが、なんと87歳まで長生きされたんです。
ダンプさん自身も、今思えば心臓が悪かったというのは全部嘘だったと思う、と語っています。
このように、ドラマでは家族関係をより劇的に、そしてダンプ松本さんの人生をより波乱に満ちたものとして描くために、一部フィクションが加えられています。
プロレスラーへの道のりやダンプ松本さんがファンだった人は創作?
ダンプ松本さんのプロレスラーへの道のりも、ドラマとは少し違っていたんです。
ドラマでは、高校卒業後にパン屋で働いていたことになっていましたが、実際は目黒の本屋でバイトをしていたそうです。
中学の頃から女子プロレスラーになることしか頭になかったダンプ松本さんですが、すぐにオーディションを受けられず、高校に進学。
大宮開成高校を卒業後、1979年に念願の全日本女子プロレスへ入門しました。
また、ダンプ松本さんのプロレスファンとしての側面も、ドラマとは少し違っていました。
ドラマでは、ビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)の大ファンになったと描かれていますが、実際はマッハ文朱さんにも夢中だったんです。
ビューティ・ペア結成よりも少し前、初のアイドルレスラーとして人気絶頂だったマッハ文朱さんが、試合に負けて泣きながら「花を咲かそう」を歌っている姿をテレビで見て、衝撃を受けたそうです。
このように、ダンプ松本さんのプロレスラーへの道のりや、ファンデった人物も、ドラマとは少し異なっていたんですね。
でも、プロレスラーになりたいという強い思いは、ドラマでも実際の人生でも変わらなかったようです。
全日本女子プロレスの経営陣と選手たちの実態は?
全日本女子プロレスの舞台裏も、ドラマとは少し違う部分がありました。
ドラマでは、松永家の3兄弟が経営陣として登場しましたが、実際はもっと複雑だったんです。
全日本女子プロレスは、松永家による同族経営で、4人の兄弟と親族が役員を務めていました。
三男の松永高司氏が中心となり、1968年に万年東一氏と「全日本女子プロレス」を旗揚げして社長に就任。その後、会長も歴任しています。
選手たちの生活環境も、ドラマとは少し違っていました。
ドラマでは、長与千種がリングの下で寝泊まりしていたシーンがありましたが、実際は合宿所に住んでいたそうです。
長崎出身の長与千種さんは、中学卒業後に別枠で入門テストを受け、1980年に全女に入門。
東京近郊に住む練習生はデビューするまで入寮できませんでしたが、長崎から上京した長与さんは、合宿所に住むことができました。
ただし、その合宿所は焼け跡に残ったようなトタン屋根のバラックだったそうです。
このように、全日本女子プロレスの舞台裏は、ドラマよりもさらに複雑で厳しい環境だったことがわかります。
ドラマでは描ききれなかった、プロレス界の厳しさや選手たちの苦労が垣間見えますね。
【血みどろの試合シーン】フォークの使い方と引退劇の真相は?
ドラマの中で印象的だった血みどろの試合シーン、実はここにも違いがあったんです。
ダンプ松本VS長与千種の「髪切りデスマッチ」で、ダンプ松本がフォークを使用するシーンがありましたが、実際の試合ではフォークの使い方が違っていました。
ドラマではフォークの歯の方を使用していましたが、実際の試合ではフォークの柄の方を使用していたんです。
これは、選手の安全を考えての配慮だったのかもしれませんね。
また、クレーン・ユウの引退についても、ドラマとは異なる真相がありました。
ドラマでは、ダンプ松本のやり方にブチギレて引退し、レフェリーに転身したように描かれていましたが、実際はもっと複雑な事情があったようです。
クレーン・ユウさんは、ジャパングランプリ公式戦のダンプ松本VSクレーン・ユウの壮絶な流血試合の後に引退しましたが、この引退は本人の意思とは関係なく、会社の意向で決まってしまったようなんです。
知らぬ間に「引退」をテレビで発表され、本人も驚いたそうです。
このように、プロレス界の裏側には、ドラマでは描ききれなかった複雑な事情があったことがわかります。
選手たちの人生が、会社の意向によって大きく左右されることもあったんですね。
ジャガー横田の誕生秘話はフィクション?
ドラマの中で描かれたジャガー横田の誕生秘話、実はこれも創作(フィクション)だったんです。
ドラマでは、ジャッキー佐藤との対戦を機に、社長や専務の指示で「ジャガー横田」という名前に変えられたように描かれていました。
しかし、実際のジャガー横田さんは、このシーンについて全面的に否定しているんです。
ジャガー横田さんの夫・木下博勝さんが、このシーンについて本人に直接確認したところ、「そんなことはなかった」と即答したそうです。
ジャッキーさんの世界タイトルに挑戦する際に、会長に負けろと言われたこともないし、「ジャガー」と名乗れと言われたこともないそうです。
このように、ドラマの中には完全な創作のシーンも含まれていたことがわかります。
実際の出来事をベースにしながらも、ドラマとしての面白さを追求するために、フィクションの要素が加えられているんですね。
ただ、こうした創作によって、実際のプロレス界の複雑さや選手たちの苦労が、より多くの人に伝わったという側面もあるかもしれません。
【まとめ】「極悪女王」から見えてくる、プロレス界の真実と魅力
ここまで、ドラマ「極悪女王」のフィクション部分と実話について見てきましたが、いかがでしたか?
ドラマには創作の部分もありましたが、それでもダンプ松本さんや当時の女子プロレス界の魅力は十分に伝わってきますよね。
フィクション部分を知ることで、当時のプロレス界の複雑さや選手たちの苦労がより感じれらたと思います。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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